空前の将棋ブームで注目を浴びている天童将棋駒とは?
最近注目を浴びている天童将棋駒をご紹介します。
山形県でうまれた天童将棋駒(てんどうしょうぎこま)
天童将棋駒は山形県の天童市で作られた将棋駒です。
山形県は将棋駒の生産が国内生産一位となっており、そのなかでも天童市が最も多くのシェアを占め、なんと国内の将棋駒の9割が天童市で作られています。
1996年4月に国の伝統工芸品に指定され、伝統工芸士の認定を受けた職人が何人も製作に携わっています。
天童将棋駒の歴史
将棋のルーツはギリシャ、エジプト、インドなど諸説あり、日本に伝来した時期も正確には分かっていませんが、平安時代にはすでに将棋が伝わっていたことが資料に残されています。
伝来当初の将棋は現在とはルールや駒の数が異なり、時代が進むにつれて駒の動きやルール、駒の数などが変化していき、現在のルールが完成したのは将棋が広く庶民にも親しまれるようになった江戸時代ごろだといわれています。
天童市で将棋駒が作られるようになったのも江戸時代で、当時の財政立て直しのために当時の家老 吉田守隆(通称、吉田大八)が将棋駒の製造を推奨したことがきっかけでした。
「武士の内職」として始まった将棋駒生産が時代の後押しもあって本格的な産業に発展すると、分業で天童将棋駒を生産できるようになり、たちまち天童は国内における将棋駒の大量生産地となりました。
天童将棋駒の特徴
天童将棋駒は「ツゲ」や「カエデ」などを素材に作られます。
なかでももっともよいとされるのは、木目の美しさと適度な堅さ、長年の使用に耐える強度がある「ツゲ」で、東京都の御蔵島産や鹿児島県の薩摩産の本黄楊(ほんつげ)は最高級の駒に用いられています。
天童市では大正時代から将棋駒の機械生産が行われていますが、木地師と呼ばれる職人が手作業で削った将棋駒は、40枚すべての木目が同じになるようなものを選んで切りそろえられるなど、木目の美しさにこだわって作られています。
また、手作業で文字を入れた駒には、木地の表面に直接漆で駒字を書いた「書き駒」、木地に印刀で駒字を彫り、切削面に漆を塗って仕上げた「彫り駒」、彫り駒の状態から漆器の塗り下地に使われる砥の粉と漆を調合したもので切削面を埋め、表面を磨き上げて完全な平面に仕上げた「彫埋め駒」、彫埋め駒の状態から漆を木地より高く盛り上げた「盛り上げ駒」があります。
「書き駒」は現在ほとんど作られていませんが、「彫り駒」「彫埋め駒」「盛り上げ駒」は盛んにつくられており、なかでも著名な駒師の手によって作られる「盛り上げ駒」はプロの公式戦などに用いられる最高級品です。
左馬
天童市では実際に使用される「指し駒」のほか、縁起物として飾られる「飾り駒」も作られています。
なかでも、将棋駒の「角」が成った状態の「左馬」は、長い人生をつまづくことなく過ごすことができる、馬を反対に読んだ「まう(=舞う)」で縁起がよいなどといわれており、商売繁盛の守り駒となっています。
まとめ
天童将棋駒は素材によって味わいが異なり、最高級品とされる駒は手の馴染みやすさ、指したときの心地よい音など、視覚だけではなく触覚、聴覚をも満足させる仕上がりとなっています。
また、すべて手作業で作られた駒は、文字を入れる駒師ごとの作風に違いがあり、力強く荒々しい書体から優しく風雅な書体まで楽しむことができます。
プラスチック製の大量生産品では感じることができない手触り、音、職人の息吹を感じることができる天童将棋駒で指す将棋は、単なるゲームではなく、指し手と職人が時間を超えて創る「緻密な美」の空間といえるかもしれません。