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高級焼き物で知られる臥牛窯(がぎゅうがま)について。

臥牛窯についてご紹介します。

 

失われた「現川焼」を再現させた窯元

臥牛窯は長崎県佐世保市にある窯元で、かつて長崎県で焼かれていた「現川焼」を再現させた窯元です。臥牛窯の作品は、陶器のような温もりと磁器のような艶やかさがあり丈夫で使いやすいだけではなく、刷毛目などの技法で描かれた模様や絵付けの繊細な美しさが特徴で、贈答用などに利用されることも多い高級焼き物の窯として知られています。

今回は、臥牛窯と臥牛窯が復活させた現川焼について紹介します。

 

現川焼の歴史

現川焼に関する資料は少なく、その発祥がいつだったかなどはあまりはっきりしていませんが、江戸時代に諫早を領有した諫早家が残した「日新記」の記録によると、元禄4年(1691年)に諫早家の官吏である田中刑部左衛門が職務を退いた後、現在の長崎市現川町に開窯したと記されています。

現川焼が焼かれていたのは寛延元年(1748年)頃までのおよそ60年間と見られており、現在残されている窯跡には宝永元年(1704年)に建てられた窯観音があり、 現川焼の創設者、 田中宗悦・田中甚内・重富茂兵衛等にかかわる銘が刻まれているほか、昭和58年(1983年)の調査で小屋敷、山川地区で窯跡の存在を予測する資料類の発見があったなど、今後の調査によって明らかになっていくと思われます。

 

現川焼は16世紀ころから現在の佐賀県東部・長崎県北部で作られていた唐津焼の技法を踏襲しており、鉄分の多い粘土で作られた大胆な形の器体に、化粧土(白絵土)を筆に含ませて器面に塗る刷毛目(はけめ)技法にで模様が描かれているのが特徴です。さらに染付、鉄絵を併用するなど洗練された佇まいと独特な風合いがあり、その美しさや技術の高さから「西の仁清」「刷毛目文様の極致」と賞賛されました。

しかし、現川焼はおよそ60年で廃窯となり歴史の表舞台から姿を消します。廃窯後、1895年に馬場藤太夫が、1897年頃に檀野勝次などが再興を目指すなど、数多くの人が現川焼の再現を試みますが製法や技法に謎が多いため再現には至らず、残された数少ない現川焼は「幻の銘品」と呼ばれるようになります。

 

臥牛窯と現川焼

臥牛窯は、慶長七年(1602年)から松浦藩内の大村藩と鍋島藩の藩境にある木原皿山に窯を開き、松浦藩の初代藩主である松浦鎮信により“臥した牛に見える窯の形状”から命名された窯です。臥牛窯では地元で採れる赤土と泉山で発見された磁石を使い、刷毛目文様を施した焼物を作っており、開窯からその技法を守り続けていました。

臥牛窯がいつ頃から現川焼の再現を試み始めたかは不明ですが、十二代 横石臥牛がそれまで謎だった現川焼の謎を解き明かし再現に成功、十三代 横石臥牛がその高い技術力によって再現を完全なものに仕上げました。この功績を称えられ、十二代、十三代の横石臥牛は長崎県の無形文化財に指定されました。

 

まとめ

現在、臥牛窯では長年継承してきた技法を使いながらも、新たな可能性を模索しながら再現した現川焼を制作しています。茶褐色の地に白土による刷毛目で表現された空間と自然をモチーフにした絵柄の融合、陶器でありながら磁器のような薄さと独特の艶といった特徴から人気が高く、中でも十三代 横石臥牛の作は高い評価を得ています。

 

 

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