高価買取も期待できる!?皇朝十二銭 の価値と買取額の相場。
皇朝十二銭 の価値と買取額の相場をご紹介します。
古銭のなかでも希少価値が高い「皇朝十二銭」
皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)は飛鳥時代から平安時代にかけて日本で作られた銅銭の総称で、本朝十二銭(ほんちょうじゅうにせん)、皇朝十二文銭(こうちょうじゅうにもんせん)と呼ばれることもあります。
皇朝十二銭のなかでもっとも古い「和同開珎」が発行されたのは706年ですが、日本で実際に流通したことがはっきりしている貨幣としては最古のものです。
また、760年「万年通宝」、765年「神功開宝」、796年「隆平永宝」、818年「富寿神宝」、835年「承和昌宝」、848年「長年大宝」、859年「饒益神宝」、870年「貞観永宝」、890年「寛平大宝」、907年「延喜通宝」958年「乾元大宝」と、合計12種類がこの時期に発行されています。
このころ、日本の天皇を中心とした時代で貨幣の発行も天皇や公家を中心とした朝廷が行っていましたが、朝廷の力が弱まるにつれて貨幣の価値も下がり、武士の時代である鎌倉時代に入るころには歴史の表舞台から姿を消しました。
皇朝十二銭の価値
皇朝十二銭の価値は歴史が古いということから江戸期の寛永通宝などよりも価値が高く、なかでももっとも古い和同開珎は高い価値がついています。
また、当時は貨幣の中心にあけた穴に紐をとおして束にした状態で使用していたことなどからたびたびインフレが起こり、新通貨に切り替えるたびにデノミを行うということをくり返していました。
デノミとは通貨金額の桁数表示を切り上げたり切り下げたりすることで、簡単にいうと「和同開珎100枚を通貨切り替えにともなって両替したら、万年通宝1枚になってしまった」ということです。
しかし、貨幣を束にした状態のまま取引に使用する方式は依然として続いていたためインフレは収まらず、デフレとインフレを繰り返すうちに貨幣に対する信頼はどんどん下がっていきました。
時代が経つと「新しい貨幣に換えても価値が下がるだけなら、いっそ溶かして価値が安定した銅として持っている方がよい」という考えが広まりました。これには貨幣に使用される銅の品質低下や貨幣サイズの縮小による銅の価値高騰も関係しているといわれています。
そのため、皇朝十二銭は全体的に希少価値が高く、現存数が少ない「長年大宝」「饒益神宝」「貞観永宝」は特に高い価値がつきます。
また、皇朝十二銭最後の「乾元大宝」は品質が劣化したことによるサビなどの影響で刻印が読めなくなっていることが多いため、刻印が読める状態であれば高い価値がつきます。
買取額の相場
皇朝十二銭の買取相場は状態や種類によって異なりますが、希少価値が低い「延喜通宝」でも1~5万円程度が相場となっており、それ以外は10万円程度価値がつくこともあります。
さらに、希少価値が高い「長年大宝」は90万円、「貞観永宝」は50万円までが相場で、特に現存数が少ない「饒益神宝」は最低でも100万円が相場といわれています。
まとめ
歴史的価値があるだけではなく希少価値も高い皇朝十二銭は、状態があまりよくなくても高価買取が期待できます。
お手元に皇朝十二銭をお持ちの方は、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。