漆工芸品の中でも特に希少性と芸術性が高い、芝山細工について。
希少性と芸術性が高い漆工芸品「芝山細工」をご紹介します。
幻の漆工芸品「芝山細工」
芝山細工はレリーフ状の彫刻と象嵌を特徴とした技法で、「芝山象嵌」や「芝山」と呼ばれることもあります。蝶貝、アワビ貝、珊瑚、象牙、べっ甲といった天然素材を使って花鳥や人物等の文様を描くという点は螺鈿細工と同じですが、螺鈿は平面的に仕上がるのに対し、芝山細工は浮彫のように盛り上がって立体的になるという点が異なります。
輸出工芸品として花開いた芝山細工
芝山細工は江戸時代、現在の千葉県芝山町に生まれた大野木専蔵が考案した技法で、当初は江戸で作られていました。
日本が開国すると欧米との貿易が活性化し、1859年に横浜港が開港したあとは日本は外貨獲得のために様々な工芸品を輸出するようになり、外国人向けの作品が盛んに作られるようになります。
当時、日本の工芸品は江戸期に発達した技術と美意識が結晶となった「美の円熟期」と呼べる時期でした。ヨーロッパでは「ジャポニズム」がブームとなっていたこともあり、高いレベルで作られた蒔絵、七宝、薩摩焼などの工芸品が数多く輸出されました。芝山細工もその一つです。
隆盛と衰退
江戸の町で発展した芝山細工ですが、開国後は幕府直参の武士であった村田鋼平が輸出用工芸品として発展させます。横浜に職人を集め、分業制で芝山細工が施された大型家具などを制作するようになります。このように分業制で作られる芝山細工が施された品は、一人の職人が一貫して作る本来の芝山細工と区別するため「横浜芝山漆器」「芝山漆器」と呼ばれます。
「芝山漆器」は1893年のシカゴ万博において「真珠貝花紋小箱」が入賞したことを契機に独自の道を歩み始めるようになり、高い技術を持った職人も誕生します。
しかし、関東大震災や第二次世界大戦などで打撃を受けたことで生産が一時中断。戦後は高いレベルの工芸品ではなく「土産物」として作られるようになる、職人数が減少するなど、徐々に衰退していきます。
芝山細工の希少性
一人の職人が作る本来の芝山細工は制作に多大な時間を要するため、生産数が極端に少なくなります。
さらに、芝山細工の多くは海外に輸出されただけではなく、幕末の動乱や震災、戦争などによって消失したものも多く、現存するものはわずかです。
芸術性が高いうえに希少価値も高い芝山細工は、まさに「幻の工芸品」と呼ぶのにふさわしいのではないでしょうか。
まとめ
分業制で作る芝山漆器に発展したあと、時代とともに衰退していった芝山細工ですが、現在は一貫制作で「原点回帰」を目指している職人もいます。
しかし、制作に手間がかかるうえ、技法も多彩な芝山細工は習得するのに時間がかかるため、芝山細工の作家・職人として活躍している人は少数です。
古い時代の芝山細工はもちろん、新しい時代の芝山細工も希少性が高い工芸品といえるでしょう。