和歌山県を代表する、根来塗・紀州漆器について教えてください。
和歌山県を代表する、根来塗・紀州漆器についてご説明します。
漆器の三大産地 和歌山県
漆器というと輪島塗が有名ですが、質のよい木材に恵まれた和歌山県でもたくさんの漆器が作られており、福島県や石川県などと共に全国三大産地の一つとして知られています。
和歌山県の漆器にはどのような特徴や歴史があるのでしょうか。
紀州漆器
紀州漆器は和歌山県海南市の北西部「黒江地区」を中心に生産されている漆器です。
良質のヒノキ産地である和歌山県には、漆器の土台となる木の素地を加工する「木地師」の集団が住んでいました。この木地師によって作られた渋地椀(柿渋に松煙、木炭の粉を混ぜて塗ったもの)が紀州漆器の始まりといわれています。
紀州漆器では、渋地椀に使われた技法が下地(渋下地)に使用されていますが、渋下地を使うと安価で堅牢な漆器ができるため、紀州漆器の成立は高級品であった漆器が一般庶民に広まる要因に繋がったといえるでしょう。
また、海南市の隣町である野上町で漆が採れた、ヒノキや楠などの木材が豊富だったということもあり、紀州の渋地椀や紀州漆器は室町時代ごろから発展、普及したようです。
根来塗
根来塗りとは、現在の那賀郡岩出町にある「根来寺」で僧侶たちが作っていた寺用の膳・椀・盆・厨子などの什器から始まった漆器です。
黒漆を何層も塗り重ねた上に、貴重な「辰砂(しんしゃ)」を使った朱色の漆を一度だけ塗るのが根来塗りの伝統的な製造方法です。
一度しか塗らないため、使用するうちに朱の色が剥げて下地の黒が見えてきますが、その見た目の変化が「風情」として評価されました。
また、漆器というと蒔絵や沈金などで装飾されていることが多いですが、根来塗りは模様をつけないのが一般的です。
根来寺に住んでいた僧侶はいわゆる「僧兵」で、戦国時代には織田家と対立する関係にありました。そのため、豊臣秀吉によって一時壊滅状態に陥り、僧侶たちは日本各地に散らばることになりました。
このとき、根来塗りの技術も日本各地に広まったといわれています。
まとめ
紀州漆器は黒江地方で作られ始めた渋地椀をベースに、紀州藩の保護を受けながら発展した漆器だといわれています。
漆器のなかでも一般大衆を対象にした日用品という位置づけであるため、装飾性や素材の質の良さは輪島塗や会津漆器より劣ると感じるかもしれません。
しかし、使い込むことによって現れる風情や、素朴で親しみやすいといった魅力があり、今後も「日常使いできる手頃な漆器」として長く愛されていくことが予想されます。