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岐阜県を代表する焼物。志野焼と織部焼の特徴は何ですか?人間国宝にはどんな作家がいますか?

志野焼と織部焼の特徴と人間国宝をご紹介します。

美濃焼の一種である「志野焼」と「織部焼」

志野焼と織部焼の歴史

岐阜県を代表する焼物である「志野焼」と「織部焼」は、いずれも安土桃山時代に成立したとされる焼物で、岐阜県の焼物である「美濃焼」の一種です。

 

美濃地方と呼ばれる、現在の岐阜県土岐市・多治見市・瑞浪市・可児市では、古墳時代や平安時代から須恵器(すえき)が作られてきました。

鎌倉時代以降になると、斜面に作られた「登り窯」を利用した陶磁器生産が始まり、本格的な窯業地として発展していきます。

 

16世紀には、織田信長の経済政策によって、登り窯よりも焼成効率がよい「大窯」が作られたほか、他地域に住んでいた陶工たちが美濃地方に移り住んだこと、さらに茶道文化が隆盛を誇るなど時代の後押しも重なり、美濃地方の焼物は急速に発展しました。

 

その中で誕生した代表的な焼物が、志野焼と織部焼です。

 

志野焼

志野焼

美濃焼伝統工芸品協同組合 https://www.minoyaki.gr.jp/archives/craft/shino(2026-01-23)

 

志野焼は「もぐさ土」と呼ばれる、耐火温度が高く焼き締りが少ない白土で作った器に、長石を主成分とした白い釉薬の「志野釉」をたっぷりとかけて焼成されます。

 

釉薬がかかった部分はぽってりとした厚みがあり、きめの細かい貫入や、味わい深い「柚肌」と呼ばれる独特の質感が生まれます。優しい乳白色を帯びていて、釉薬のかかりが少ない縁の部分などは赤みのある火色が見え、白磁や青磁のような美しさを持ちながら、優しい温かさを持っていることが特徴です。

 

志野焼の多彩な表現

  • 無地志野
    絵などの柄が付けられていない、基本の表現
  • 鼠志野・赤志野
    下地に鉄化粧を施して焼いた
  • 紅志野
    赤ラクと呼ばれる黄土を掛けた上に鉄絵文様を描き、さらに志野釉をかけて焼く
  • 絵志野
    下地に鉄絵文様を描いた後、志野釉をかけて焼く

 

なかでも「卯花墻(うのはながき)」という志野焼の茶碗は、国産茶碗では2つしかない国宝に指定されており、志野焼の評価の高さを物語っています。(2018年9月時点)

 

織部焼

織部焼き

美濃焼伝統工芸品協同組合 https://www.minoyaki.gr.jp/archives/craft/oribe(2026-01-23)

 

織部焼は、美濃出身の武人であり、千利休の弟子でもある茶人・古田織部(ふるたおりべ)の指導のもとに生まれた焼物です。

 

師である千利休は、簡素で渋みのあるシンプルな「侘び寂び」な器を好んでいました。しかし、その弟子である古田織部はそれとは対照的に、「織部好み」と呼ばれる、ほかの焼物にはない自由で豪快なフォルムや奇抜な文様が特徴となっています。

 

安土桃山時代は南蛮貿易が盛んに行われた時代でもあり、色鮮やかな渡来品が人々の目を楽しませていた時代でもあったため、従来の茶碗とは全く違うファッショナブルな織部焼は、粋を好む人々に愛されたようです。

 

織部焼には、以下のように種類が豊富にあります。

 

  • 青織部
    有名で、暗緑色の釉薬が印象的
  • 赤織部
    鉄分の多い赤土を素地としている
  • 織部黒
    文様のない器全体を黒釉が包み込む
  • 黒織部
    窓絵といわれる文様がついた織部黒

 

織部焼は、江戸時代ごろまでは茶碗のほかに皿やとっくりなどの食器も盛んに作られていましたが、江戸時代以降は徐々に勢いを失い始めました。1615年に創始者の古田織部が切腹したこと、寛永年間に入って古典的な青磁が復興したことの影響をうけ、姿を消してしまいました。

 

志野焼の人間国宝

歴史から姿を消してしまった織部焼に人間国宝はいませんが、志野焼には2名の人間国宝(重要無形文化財保持者)がいます。

 

荒川 豊藏(あらかわ とよぞう)

荒川豊藏は1894年、桃山時代以来から続く美濃焼の陶工の血筋を受け継いで、現在の岐阜県多治見市に生まれました。

 

1930年に古志野を見たことがきっかけで、「志野焼は瀬戸で焼かれた」という通説に疑問を感じ、美濃地方の古窯跡を調査します。織部焼の陶片を拾ったことがある岐阜県多治見市の大平、大萱の古窯跡を調査したところ、志野焼の陶片を発見しました。

 

志野焼が美濃で作られたことを確信した荒川豊藏は、美濃古窯の全貌を明らかにするとともに、志野焼を自分の手で作ることを決意し、独自で窯を築きました。古志野の再現を目指して研究と作陶を重ねました。

 

1955年に「志野焼」「瀬戸黒」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された荒川豊藏の作品は、実用性と芸術性を兼ね備えており、「荒川志野」とも呼ばれる独自性を確立しています。

 

鈴木 藏(すずき おさむ)

鈴木藏は1934年、岐阜県土岐市で生まれました。

 

釉薬の研究者を父に持つ鈴木藏は、釉薬や陶土について学びました。その後、志野焼と瀬戸黒で人間国宝の認定を受けた荒川豊藏、色絵磁器で人間国宝の認定を受けた加藤土師萌(かとうはじめ)という2人の陶芸家の師事を受けて志野の研究に励み、その技術を体得しました。

 

釉薬の研究や作陶を重ねる傍ら、古来の半地下式穴窯を改良した独自の焼成方法も考案しており、1994年に重要無形文化財(人間国宝)「志野」保持者に認定されました。

 

伝統的な志野焼のスタイルの作品だけではなく、現代的なエッセンスが感じられる独特な作品も多く、なかでも大胆で特徴的な釉薬の使い方は数多くの作陶家に影響を与えています。

 

志野焼・織部焼の骨董品としての価値

志野焼や織部焼は、単なる器としてだけでなく、骨董品としても価値があります。


特に、桃山期の古作や人間国宝の作品、由来や共箱が残っているものは、専門的な査定をしましょう。

使用感がある器であっても、茶陶の世界では評価につながることも少なくありません。


整理や相続の際に志野焼や織部焼が出てきた場合は、処分を考える前に一度、専門知識を持つ買取店へ相談してみるのも一つの方法です。

 

お電話でのご予約はこちら:0120-510-636

 

まとめ

現在でも陶磁器の国内シェアの半数を占める美濃焼は、長い歴史の中でさまざまなスタイルと技法を確立してきた、まさに日本の代表的な焼物です。

 

なかでも、国宝に指定されている国産陶器の中の1つである志野焼と、ほかにはない独自性に富んだ織部焼は、国内外の骨董ファン、陶磁器ファンを魅了してやみません。

 

お手元に売却を検討している志野焼、織部焼がございましたら、弊社にご相談ください。

 

 

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