人間国宝の「髹漆」保持者、赤地友哉とその作品について。
赤地友哉とその作品についてご紹介します。
漆芸の基本となる「髹漆」の人間国宝
髹漆(きゅうしつ)は木、竹、紙などの下地に漆を塗る技法のことで、漆芸の最も基本となる技術であり、漆芸技術の中では最も古いといわれている技法です。
「漆を塗る」というとシンプルな作業であるように感じられますが、素地の特色を見極め、その魅力を活かすためには高い技術と知識が必要となります。
シンプルだからこそ難しいともいえる髹漆の伝統的な技法を身に着けただけではなく、独自の技法も確立し、髹漆の世界に革命を起こしたともいわれる赤地友哉とはどのような人物なのでしょうか。
赤地友哉の生涯
赤地友哉は、1906年に石川県金沢市で生まれました。生家はヒノキや杉を加工する「檜物師(ひものし)」を営んでいましたが、家業は継がず16歳のときに塗師である新保幸次朗に5年間弟子入りして髹漆の技術を習得。1928年に上京してからは塗師の渡辺喜三郎に2年ほど師事を受けます。
また、遠州流家元小堀宗明から茶道の教えを受け、独立してからは日本橋や京橋で茶器などの制作に努める傍ら、蒔絵師の植松包美のもとで徳川本源氏物語絵巻を収める箪司の髹漆に従事し蒔絵についての知識も得ます。
1943年に徴用されて三井化学目黒研究所に勤務、戦後1946年より大平通商株式会社に勤務して三井漆を研究した後、1953年から再び制作に専念し、漆芸化の道を本格的に歩み始めます。
1956年には日本伝統工芸展に「胡桃足膳」を初出品、その後も日本伝統工芸展に出品を続けながら、ヒノキ、アテ、スギなどの柾目のなどの薄板をまげて楕円形の容器を作る「曲輪造」の技法も開発し、1960年の第7回日本伝統工芸展に出品した「曲輪造彩漆盛器」が奨励賞、1961年の第8回日本伝統工芸展に出品した「曲輪造彩漆鉢」が日本工芸会総裁賞を受賞しました。
さらに、1966年に出品した「曲輪造平棗」は、翌年に芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど目覚ましい功績をあげ、1972年に紫綬褒章を受章、1974年、漆芸の「髹漆」で人間国宝に認定されます。
1975年から石川県立輪島漆芸技術研修所に髹漆科が開設すると講師として務めるなど後進の育成にも取り組み、1978年勲四等旭日章を受章。1984年に死去しました。
作品の特徴
赤地友哉の作品は、木工の曲物技法を応用した堅牢な造りの器体に、塗立技法による上塗を施すことで漆のふくよかな風合いを加えた独特の作風が特徴です。
また、曲輪造の技法によって作り出した多彩な形も特徴の一つで、伝統的な漆芸品の美しさと現代的で斬新な色や形を兼ね備えた作品が数多く残っています。
まとめ
髹漆の世界に革命を起こしたともいわれる赤地友哉の作品は国立工芸館や国立美術館などで見ることができます。機会があれば鑑賞してみてはいかがでしょうか。
また、人間国宝である赤地友哉の作品は査定に出すと高値がつくことが予想されます。売却を検討している赤地友哉の作品をお持ちの方は、一度弊社にご相談ください。