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オランダのアンティーク食器、Petrus Regout (ぺトルス・レグー)とは?

オランダのぺトルス・レグーについてご紹介します。

19世紀に輸入されたペトルス・レグー

鎖国を行っていた江戸時代の日本では、ヨーロッパで唯一交流があったオランダから輸入された品が大変珍重されました。なかでも、オランダのデルフト州で作られた「デルフト焼」は白地に青の絵付けが伊万里焼と共通していることから大変好まれていました。

しかし、18世紀になるとデルフト焼は徐々に衰退して市場から姿を消し、19世紀になるとデルフト焼の様式で絵付けが施されたマーストリヒトの陶器が輸入されるようになります。ペトルス・レグーは、幕末から明治期にかけて輸入されたオランダの陶器メーカーの一つです。

 

ペトルス・レグーの歴史

ペトルス・レグーは1834年にオランダの古都マーストリヒトに設立された「ロイヤルスフィンクス社」を前身としています。ロイヤルスフィンクス社は当初、ガラス工場として設立されましたが、設立から2年後の1836年から陶器の製造を開始。当時は地元市場に向けた白いシンプルな器を作っていました。

しかし、イギリスのクリームウェアの人気が高まった影響でオランダの陶器は苦境に追いやられます。ロイヤルスフィンクス社はこの流れに対抗するため、イギリスの職人を雇用したり、イギリス製の最新式の機械類を導入したりすることで品質を高め、国際市場で競争できるレベルに到達。また、創始者であるペトルス・レグーの息子たちが参加したことで、社名が「ロイヤルスフィンクス」から「ペトルス・レグー・アンド・カンパニー」に変更されます。

ペトルス・レグーは早期からアジアや日本に着目しており、日本が開国した後の1859年ごろには商船を送って日本向けの製品を輸出しています。ただし、日本市場開拓はあまりうまくいかなかったようです。

ペトルス・レグーの陶器の一部はイギリスのノーススタッフォードシャーで焼かれていたため「スタッフォードの結び目」と呼ばれるロゴがプリントされていましたが、1879年からはロイヤルスフィンクス社のロゴを踏襲したスフィンクスをデザインしたロゴに変更。このころから1899年ごろまで、ペトルス・レグーは「デ・スフィンクス」という愛称で親しまれるようにもなりました。1958年にソシエテ・セラミックと合併したことでペトルス・レグー社の名前は消えてしまいます。

 

ペトルス・レグーの特徴

ペトルス・レグーの食器は、東洋と西洋の文化が融合した独特なデザインと繊細な線、美しい艶のある白い肌です。デルフト焼の様式に則った白地に青のほか、黒に近い褐色で絵付けされた作品や、落ち着きのある色を複数使った作品もあります。モチーフは中華風の花や風景、オランダ風車や宮殿、アラビア風の花など多彩で、「NANKIN」「FLORA」「AUROREA」などのシリーズがあります。優美さと素朴さを兼ね備えた白い食器も人気です。

また、青を使った作品の中には色が滲んで独特の雰囲気をもつBlue Flow(ブルーフロー)と呼ばれる作品があるのも特徴です。

 

まとめ

ペトルス・レグーの食器は銅板転写を用いた大量生産可能なプリントウェアです。しかし、その歴史の古さや独特なデザインなどからアンティーク食器として人気が高く、日本はもちろん海外にも多数のコレクターが存在しています。

皿のほか、輸出用に作られた徳利や蓋つき椀、鉢などさまざまな種類があり、作品によっては希少価値がつくこともあります。

 

 

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