唐津焼と古唐津焼、何が違いますか?
唐津焼と古唐津焼の違いをご紹介します。
茶人好みの器「唐津」
唐津焼は現在の佐賀県東部は長崎県北部で作られる陶器のことです。荒くざっくりとした風合いと渋い色調、使い込むごとに土色が変化し味わいが増す器として知られています。
幅広い種類の器が作られていますが、「一楽、二萩、三唐津」という言葉がある通り、茶器の名品が多く古くから多くの茶人に愛されてきました。
唐津焼のなかでも「古唐津焼」と呼ばれる品は珍重されており、骨董・古美術市場でも高い価値がつきます。「唐津焼」と「古唐津焼」はどこが違うのでしょうか。
唐津焼の歴史
唐津焼の起源は諸説があり、いつから作られるようになったのかははっきりしていませんが、近年の調査によると1580年代ごろから作られていたのではないかといわれており、長崎県壱岐市の聖母宮(しょうもぐう)には天正20年(1592年)という銘が切られた唐津焼の壺があることから、それ以前から作られていたことがわかります。
日常で使う壺や皿、徳利といった日常雑器を中心に作られていましたが、茶の湯の流行と共に名声が高まっていき日本各地に出荷されるようになります。唐津港から出荷されたことにちなんで「からつもん」と呼ばれるようになり、唐津焼という名前が定着。西日本では焼物の代名詞的な存在として知られるようになりました。
また、茶人としても有名な古田織部の茶会記に、「唐津足有御水指」「唐津焼すじ水指」という記載があるなど、唐津焼は茶の湯の名品として多くの茶人から愛されるなど隆盛を極め、最盛期を迎えます。
しかし、江戸時代になると窯が増えすぎた影響で燃料となるまき不足が深刻化したため、当時の領主だった鍋島氏が窯場の整理、統合を断行。多くの窯が閉鎖され唐津焼は衰退してしまいます。
規模が大幅に縮小した唐津焼ですが、茶器としての評判は高かったため、茶陶を作る御用窯として存続し、幕府への献上品なども多数作られました。
明治維新後は藩の庇護を失ってさらに衰退しますが、唐津焼の人間国宝となった中里無庵などの活躍によって復活し、現在に続いています。
唐津焼と古唐津焼の違い
唐津焼と古唐津焼の違いは作られた時代です。その区分にはいくつかの定義が存在しますが、一般的には鍋島氏による窯場の整理、統合で衰退する以前を「古唐津」、それ以降を「唐津」と呼びます。江戸時代以前の作が古唐津、江戸時代以降が唐津と考えてもよいでしょう。
古唐津焼は偽物が多い
人気が高く骨董・古美術品として高値がつく傾向がある古唐津焼は、形や絵付けなどがシンプルであることと、日用雑器として作られていたことから「たくさん作られていた」というイメージがあるため偽物が作られやすく、出回りやすい条件がそろっています。実際、一目で偽物とわかる品から、いかにも古く見えるように加工した本物らしい偽物まで数多く出回っています。
まとめ
唐津焼は陶器の中でも壊れやすい焼物といわれているため、状態が良い品は希少です。特に、古唐津焼の美品は希少価値が高く、売却すればかなりの高額が期待できるでしょう。ただし、偽物も多く出回っているため、売買の際は信頼できる相手と取引をするなど注意が必要です。