照明や家具などインテリア用品で親しまれている、イサム・ノグチとその作品について。
イサム・ノグチとその作品についてご紹介します。
20世紀を代表する彫刻家
イサム・ノグチは日本の詩人 野口米次郎とアメリカの作家 レオニー・ギルモアの間に生まれた日米ハーフの彫刻家で、彫刻家のほかにも画家、インテリアデザイナー、造園家、舞台芸術家など、さまざまな方面で才能を発揮した芸術家です。
人種や文化、習慣の違いなどの葛藤に苦しみながら独自の哲学を確立し、20世紀を代表する彫刻家となったイサム・ノグチとはどのような人物で、どのような作品を作ったのでしょうか。
イサム・ノグチの生涯
イサム・ノグチは1904年、アメリカのロサンゼルス州に生まれました。1907年からは「野口勇」としての日本での親子三人での生活が始まりますが長く続かず、1909年には母一人子一人となり、大森、横浜、茅ヶ崎などを転々とします。
1918年、13歳になったノグチ・イサムは母の勧めで「イサム・ギルモア」としてアメリカの全寮制学校に進学。木彫りの技術を習得し「木彫りの天才少年」と呼ばれるようになります。
高校卒業後はアーティストの道に踏み出し、彫刻家ガッツォン・ボーグラムの助手を経たあと、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通い、入学してすぐに初の個展を開催。彫刻家として生きることを決意し、この時から「ノグチ・イサム」と名乗ります。
1927年に奨学金を得てパリに留学し、夜間の美術学校に通いながらコンスタンティン・ブランクーシの助手をしながら抽象彫刻を学ぶものの、奨学金の延長が認められずアメリカに帰国。
彫刻などを売って来日後は日本で活動していましたが、第二次世界大戦勃発時は強制収容所に収容され、芸術家仲間の嘆願書により出所した後はアメリカに帰国します。
戦後はヨーロッパ、エジプト、インドなどを訪問して1950年に再び日本に戻り銀座三越で個展を開催。鎌倉の北大路魯山人の敷地内にアトリエと住まいを構えて陶芸に励みます。
またこの頃から、インテリアデザイナー、プロダクトデザイナー、造園家としても才能を発揮するようになり、当時の岐阜市長から依頼を受けて岐阜提灯をモチーフとした光の彫刻「あかり」シリーズのデザインを開始するなど、日本とニューヨークを行き来しながら精力的に制作に励みます。
1968年に香川県にアトリエと住まいを構えた後は東京の最高裁判所の噴水など数々の作庭、彫刻などに携わり、1987年にアメリカ国民芸術勲章を受勲、1988年には勲三等瑞宝章を受勲。札幌市のモエレ沼公園を一つの彫刻に見立てるという最大の作品計画に取り組みますが、完成を見ることなく84歳でその生涯を閉じました。
イサム・ノグチの作品
イサム・ノグチの作品の特徴は、東洋と西洋が融合したシンプルで有機的なデザインです。曲線を多用した優美かつ大胆なデザインは斬新でありながらどこか懐かしさが感じられ、存在感は保ちつつも風景に溶け込む自然さは、まるで命が宿っているようだと評されています。
まとめ
イサム・ノグチがデザインした家具や照明は現在でも購入可能です。なかでも、岐阜県の名産品である提灯とコラボレーションして制作された「あかり」シリーズは人気が高く、飲食店やホテルなどでも目にすることができます。
また、大阪の「万博記念公園」、香川の「高松空港」などさまざまな場所にその作品が残されています。