シルクロードや仏教をテーマにした神秘的で幻想的な作品で代表される、平山郁夫とその作品について。
平山郁夫とその作品についてご紹介します。
近代日本画の雄 平山郁夫
平山郁夫は、月明かりを浴びながらラクダに乗って旅をする人々や、夜の闇の中に浮かび上がる白い寺院など、シルクロードや仏教をテーマとした作品を多く残した日本画家です。
シルクスクリーンやリトグラフ作品も多いことから入手しやすい、親しみやすい画家としても知られている平山郁夫ですが、どのような人物でどのような特徴がある作品を残しているのでしょうか。
平山郁夫の生涯
平山郁夫は1930年、現在の広島県尾道市に生まれました。幼いころから絵を描くことが得意でしたが、当時の日本は昭和恐慌、満州事変、第二次世界大戦などの動乱期であったため、師について絵を学ぶということはなかったようです。
1945年、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で原子爆弾投下により被災しましたが一命をとりとめ、終戦後の1947年には東京美術学校に入学して日本画を学び始めます。
東京美術学校日本画科を卒業後は東京美術学校の教員の職に就くと同時に、当時の主任教授である前田青邨に師事。1953年に「家路」という作品で院展(日本美術院展覧会)に初入選した以降、2年連続で日本美術院賞(大観賞)を受賞、モンブラン国際文化賞、レジオン・ド・ヌール賞などを受賞するなど、画家として順調なスタートを切ります。
しかし、1959年ごろ原爆の後遺症により生命の危機に直面。そんなさなか、玄奘三蔵をテーマにした「仏教伝来」を発表して院展に入選します。
1960年代以降は仏教の原点である古代インドやシルクロード遺跡、イタリアやフランスなど、ヨーロッパ諸国などを旅し、シルクロード遺跡や砂漠とラクダをモチーフとした作品を多数制作していきます。
2000年末頃には奈良にある薬師寺・玄奘三蔵院に描いた「大唐西域壁画」という大作を完成させただけではなく、カンボジアのアンコール遺跡救済活動や中国の「莫高窟」の遺跡保存事業などに積極的に参加しました。文化財保存活動を通して日本はもちろんアジアでの認知度も高く、現在でもアジアを中心に世界的に人気があります。
作品の特徴
原爆後遺症が発症する以前は、故郷である生口島の人々や風景を叙情的に描いた作品が主だった平山郁夫ですが、原爆後遺症によって命の危機にさらされながら描いた「仏教伝来」以降は、古代インドやシルクロードをモチーフとした作品が主となっています。
伝統的な日本画でははっきりと描かれることが多い輪郭線を大胆にぼかし、揺らめくような色の区切りで描かれた風景はまるで蜃気楼のようです。
また、神秘的で幻想的な雰囲気があるだけではなく、オリエンタルなモチーフを扱った作品でも、どことなく「禅」のような静寂さを感じられるのも特徴です。
まとめ
平山郁夫の作品は、故郷である尾道市の「平山郁夫美術館」のほか、滋賀県の「佐川美術館」、山梨県の「平山郁夫シルクロード美術館」などで観ることができます。機会があればぜひ鑑賞してみてはいかがでしょうか。