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「冨嶽三十六景」など日本を代表する浮世絵師である、葛飾北斎とその作品について。

葛飾北斎とその作品についてご紹介します。

世界的にも有名な北斎

葛飾北斎は「波間の富士」とも呼ばれる「神奈川沖浪裏」や「赤富士」など、さまざまな富士山を描いた「冨嶽三十六景」や、弟子入り希望者のために描いた絵手本が思わぬベストセラーになった「北斎漫画」など数々の作品を生み出した江戸時代の浮世絵師です。生涯にわたり3万点以上の作品を手掛けた葛飾北斎は、ゴッホなど西洋の画家にも影響を与えたことで知られており、死後150年以上たった現在でも「天才絵師」としてその名を知られています。
歴史の教科書などで一度は名前を聞いたことがあるという人が多い葛飾北斎とはどのような人物だったのでしょうか。

 

葛飾北斎の生涯

葛飾北斎は1760年、現在の東京都墨田区で生まれました。1764年に幕府御用達鏡磨師 中島伊勢の養子となったものの、実子が家督を継いだため家を去ることになり、貸本屋や木版彫刻師の元で働いていたことがきっかけで6歳の頃から絵師を志すようになります。
1778年に浮世絵師 勝川春章の門下となった葛飾北斎は狩野派や唐絵、西洋画などの画法を学び、1779年に役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」で若き浮世絵師として知られるようになります。
勝川派の浮世絵師として活躍していた北斎でしたが、1794年に破門されたことをきっかけに独立し、狂歌絵本「画本東都遊」の刊行を始めるなど、独自の道を歩み始めます。
その卓越した才能から弟子入り希望者が増えたこともあり、1814年に絵の手本となるスケッチ集「北斎漫画」を発刊したところ、一般の人からも人気が出て一躍ベストセラーとなります。
その後、名古屋西掛所(西本願寺別院)で120畳大の達磨半身像を描くなど制作を続けていた北斎は、1823年から「富嶽三十六景」の制作に取り掛かり、1834年には「富嶽百景」など数々の作品を手がけました。
精力的に画業に励んだ葛飾北斎でしたが1849年、88歳でこの世を去ります。死の数か月前に「雪中虎図」を手がけたといわれており、まさに生涯を画業にささげた絵師といえるのではないでしょうか。

 

葛飾北斎の人物像

葛飾北斎は90回以上引っ越しをしたことや30回以上筆名を変えたこと、金銭や身なりに無頓着で売れているにもかかわらず貧しい暮らしをしていたことなど、その奇抜な人物像でも知られています。
また、礼儀作法や形式ばった挨拶などを好まない人物であった一方、絵の代金を値切ろうとされた際に作品を持ち帰ってしまうなど、画業に関しては非常に気位が高く富や権力に左右されない人であったといわれているほか、「人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない」と接骨家の元に弟子入りするなど、絵に対して非常に真摯な人物であったことでも有名です。
作品の素晴らしさはもちろん、そのユニークな人物像からも愛されており小説やマンガ、ゲームなどにも登場しています。

 

葛飾北斎の作品

葛飾北斎の作品は、名所絵・美人画・役者絵・花鳥画・春画など多岐にわたり、小さな挿絵から大きな屏風絵まで数多く手がけています。
「蛸と海女」「富嶽三十六景」「富岳百景」などに代表される木版摺りの浮世絵に加え、晩年は「富士と笛吹童図」「竹林に虎図」「花和尚図」といった肉筆浮世絵を多く残しています。

 

まとめ

「北斎ブルー」と呼ばれる美しい青色や大胆で躍動感あふれる構図などが高い評価を得ている葛飾北斎の作品は、すみだ北斎美術館や東京国立博物館などで観ることができます。機会があれば、ぜひ鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

 

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