堆朱(ついしゅ)とは何ですか?有名な作家にはどんな人がいますか?
堆朱と有名な作家をご紹介します。
漆芸技法の一つ「堆朱」
蒔絵や螺鈿、沈金など漆芸には様々な技法が存在しますが、堆朱も漆芸技法の一つです。木地の上に塗り重ねた漆を彫刻刀で彫ってレリーフ状の文様を作る「調漆」のなかでも表面が朱色のものを「堆朱」といい、黒いものは「堆黒」、黄色いものを「堆黄」と呼びます。
中国由来の堆朱
調漆の技術が生まれたのは中国の唐代といわれていますが、現存する品から判断すると南宋時代から本格的に制作されていたことがわかっています。
中国では朱漆を用いたものを「剔紅」(てきこう)、黒漆を用いたものを「剔黒」(てきこく)と呼びますが、これは日本の堆朱・堆黒に相当するものです。
堆朱の技術が日本に伝来したのは、平安時代末から鎌倉時代初頃。本格的に堆朱の制作が行われるようになったのは、室町時代頃だといわれています。
中国とは異なる日本の堆朱
中国の堆朱は木地の上に何層も漆を塗り重ね、漆の層を乾かしたあとに彫刻を施します。漆を塗り重ねる回数は300~500回にも及ぶといわれており、まさに気が遠くなるような時間がかかります。
このような技法で作られた堆朱の漆芸品は鎌倉や室町時代に盛んに輸入され、「唐物」として珍重されてきました。
一方、日本では塗り重ねた漆を彫刻するのではなく、木地にあらかじめ彫刻を施し、その上に漆を塗るという独自の技法も生まれました。中国の堆朱に比べて使用する漆の量を少なくしながらも、見た目は本来の堆朱に似ていることから広く好まれました。
このような日本独自の堆朱は「鎌倉彫」や「村上木彫堆朱」に見ることができ、唐物の堆朱がもつ緻密さとは一味違う素朴さで多くの人を魅了してきました。
有名な作家
堆朱の有名作家といえば、南北朝時代から現代まで続く堆朱工「堆朱楊成(ついしゅ ようぜい)」一門です。
足利氏の臣で1360年に初めて堆朱を作った初代の長充、彫漆に厚貝、青貝を入れて彫りあげた独自の作風で知られる8代の長宗、日光東照宮の修理に携った18代の国平(通称 平八郎)、堆朱技法を研究し、一時廃業状態にあった堆朱楊成を再興した19代の経長、帝展や文展、日展に出品し、多数の賞を受賞した20代など、高い技術と伝統を引き継いでいます。
まとめ
中国から伝来し、日本では独自の技法が生まれ、他の技法と組み合わされるなど、時代に合わせた発展をとげてきた堆朱は、今でも多くの人に愛されている漆芸品です。
日本独自の村上木彫堆朱や鎌倉彫と、「唐物」として輸入された中国堆朱、また中国堆朱の技法をそのまま引き継いだ日本の堆朱では、それぞれ異なる特徴と魅力があります。美術館などで見かけたときは、それぞれの技法や産地などを意識しながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。