どちらも韓国の陶磁器。粉青沙器と高麗青磁は何が違いますか?
粉青沙器と高麗青磁の違いをご紹介します。
朝鮮半島で独自発展を遂げた磁器
古くより中国文化の影響を受けてきた朝鮮半島では、早い時期からさまざまな陶磁器が作られていました。
伝来当初は中国の陶磁器を模倣していたものの、時代が経つにつれて独自の進化と発展を遂げ、日本とも中国とも異なる特色を持つ陶磁器が作られるようになり、なかでも青磁は高い独自性を持っていることで高い人気を集めています。
高麗青磁
西暦918~1392年の高麗時代は、朝鮮半島で本格的に磁器が焼かれるようになりました。
磁器のなかでも青みがかった色の釉が使われる「青磁」を中心に進歩を遂げ、やがて「高麗青磁」と呼ばれるようになりました。
中国青磁の「秘色」と呼ばれていた青に対し、深い青みを帯びた美しい高麗青磁は「翡色」と評され、なかでも、素地に文様を彫って白土、赤土を埋め、これに青磁釉をかけて焼成する象嵌(ぞうがん)技術で装飾された高麗青磁は「陶磁器芸術の最高峰」とも言われています。
また、線刻や彫刻などの装飾が行われた青磁も作られたほか、鉄絵青磁、辰砂青磁など、絵付けが施された青磁、わずかではありますが白磁も作られました。
磁器らしい繊細さと華やかさ、滑らかな肌の風合いが特徴的で、朝鮮半島はもちろん中国でも「天下一」と呼ばれる名品が数多く作られた高麗青磁ですが、13世紀以降にモンゴルが台頭し、高麗王朝が衰退するとともに高麗青磁も姿を消してゆきました。
粉青沙器
高麗王朝が衰退した後、朝鮮半島は朝鮮時代に突入。
制作に手間がかかる高麗青磁に変わり、鉄分の多い陶土に、細かい白土釉で化粧掛けを施した「粉青沙器」が作られるようになりました。
磁器らしい繊細で華やかな印象のある高麗青磁に対し、粉青沙器は陶器のような素朴な印象を持っています。
また、その素朴な魅力は「高麗茶碗」として日本の茶人にも愛され、スタンプのような型をおしつけて色違いの土を象嵌する、印花技法を用いた「三島」、表面に刷毛のあとが残るよう白化粧土を塗った「刷毛目」、液状の白化粧土に器を浸した「粉引」などの名称で親しまれてきました。
しかし、1469年に京畿道広州の官窯で白磁を焼造することが法制化された影響で粉青沙器の需要が減少し、16世紀半ば頃には姿を消して行きました。
まとめ
粉青沙器と高麗青磁はいずれも現在の韓国で作られた磁器ですが、作られた時代、製法はもちろん、見た目の印象や装飾の作風なども異なり、それぞれ違う魅力を持っています。
鑑賞する機会があれば、ぜひ見比べてくださいね。