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鉄瓶の代表的な作品と特徴について教えてください。

鉄瓶の代表的な作品と特徴をご紹介します。

産地によって特徴が異なる鉄瓶

茶道具の1つである鉄瓶は、使い込むほど味わいと深みを増す地肌や、まろやかな味わいに仕上がる湯の味などから、茶人はもちろん多くの庶民にも愛されてきました。

材料が不足する戦時中や茶文化離れが激しくなる戦後以前は、全国のさまざまな場所で鉄瓶が製造されており、実用品でありながら職人の技術の粋が集められた芸術品として親しまれていました。

 

南部鉄器

鉄瓶といえば南部鉄器というイメージがあるくらい有名な南部鉄器は、現在の岩手県盛岡市で作られている鋳物のことです。

南部鉄器の鉄瓶が作られるようになったのは、茶道への造詣が深かった第28代南部藩主の南部重直が、領地で高品質の鉄が産出される事から京都の小泉仁左衛門清行を招いて茶釜を作らせた事が始まりといわれています。

さびにくく長持ちする、熱が均等に伝わる、保温性が高いという実利的な特長だけではなく、鉄器ならではの安定感と重厚感、ザラリとした独特の質感、シンプルで素朴ながら美しい外観から、現在も多くのファンを魅了しています。

 

山形鋳物

平安時代に源頼義と共に従軍した鋳物師が、山形市内を流れる馬見ヶ崎川の土質が鋳物に最適であることを発見したことが発祥となる山形鋳物は、修験道で知られた出羽三山への参詣人受けのお土産である仏具や日用品を作ったことから始まりました。

やがて、技術が発達するにつれて鉄瓶や湯釜が作られるようになり、特に湯釜は現在でも国内シェアトップクラスです。

山形鋳物の鉄瓶は、鉄器が持つ独特な安定感と重厚感を持ちながら、「型挽き」と呼ばれる独特な砂鋳型作り、砂鋳型にヘラを使って紋様を作る「紋様押し」、きめ細かな肌にする「肌打ち」によって生みだされた薄手で繊細な肌合いです。

南部鉄器と共通した「鉄器らしさ」を持ちながらも重厚になりすぎない独特な魅力からは、茶の湯がもつ素朴さと、平安時代の雅な雰囲気が感じ取られます。

 

三条釜座

三条釜座は、現在の京都市にある「釜座通」に住んでいた鋳物師たちによって作られた鉄瓶のことです。

釜座通りの近辺には平安時代から「釜師」と呼ばれる鋳物職人が住んでいましたが、豊臣秀吉の京都改造後に「釜座通」が作られたことから三条釜座と呼ばれるようになりました。

古くから三条釜座の鋳物師は梵鐘(ぼんしょう)、塔九輪(とうくりん)、擬宝珠(ぎぼし)、露盤(ろばん)といた社寺仏閣にまつわる作品を作っていましたが、鉄瓶では京都らしい丸みを帯びた優美なフォルムの作品や、仏具製作で培われた装飾技術を思わせる「取っ手」がついた蓋をもつ作品などが残されています。

 

龍文堂

龍文堂は、1764年頃に初代龍文堂である四方龍文が、京都で初めて蝋型鋳造によって鉄瓶を造ることを創案したことからはじまった鉄瓶屋です。

南部鉄器などでは木を彫って原型を作った後、砂などで鋳型を作りますが、蝋型鋳造では蝋で原型を作り石膏やガラス成分で鋳型を作るため、より滑らかな肌質の鉄瓶を作ることができます。

龍文堂の鉄瓶は鉄器の重厚さを持ちながら華麗な装飾が施されており、非常に質が高いことから明治から大正にかけて高級品として珍重されました。

夏目漱石の小説の一節にも登場しており、多くの著名人や文化人に愛されたことがうかがえます。

 

まとめ

かつて日本のさまざまな地域で作られた鉄瓶は、それぞれの産地が持つ歴史、技術、美意識の中で育まれてきた生活用品です。

もし手にする機会があれば、芸術品や骨董品として愛でるだけではなく、本来の用途で使用してみてはいかがでしょうか。

また、鉄瓶の売却をご検討の際は、弊社までご相談ください。

 

 

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