茶道の三千家とはなんですか?
茶道の三千家についてご説明します。
茶道の三千家とは
茶道を学んだ人はもちろん、学んだことがないという人でも、一度は「裏千家」「表千家」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
鎌倉時代から続く茶道には、歴史の流れとともにさまざまな流派が生まれ、なんと500以上の流派が存在するといわれています。
「表千家」や「裏千家」は茶道の中でもメジャーな流派で、千利休の孫である千宗旦(せんのそうたん)の子どもたちが作った流派です。
ここにに「武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)」を加えた三つを合わせて「三千家」と呼びます。
表千家
表千家は、千利休を祖とする流派です。
千利休の孫、千宗旦には四人の息子がおり、表千家は長男と次男が家を出ていたため、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)が、利休の茶室である「不審菴」とともに家元を受け継ぎました。
千利休の嫡流ということもあり、将軍家や政財界とのつながりが深く、現在も保守的で伝統を重んじる流派です。
裏千家
江岑宗左が「不審菴」受け継いだとき、父親である千宗旦は屋敷の裏に隠居所をつくり、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)と一緒に暮らし始めました。
この隠居所には「今日庵(こんにちあん)」と呼ばれる茶室がありましたが、後に仙叟宗室がこの茶室を受け継ぎ、茶人となったことから「裏千家」が誕生しました。
格調高く伝統を重んじる本家筋の表千家に対し、分家筋の裏千家は伝統を重んじながらも茶道の発展のために新しいスタイルを取り込んでいく形で、大衆化した流派ということもあり、現在は弟子数が最も多く、茶道教室の多くが裏千家です。
武者小路千家
千宗旦の四人の息子のうち、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)は、家を出て塗師の養子となっていましたが、兄弟たちの勧めもあり、還暦を迎えるころに千家に戻って茶人として第二の人生を送ることを決めました。
その時、京都の武者小路通りに「官休庵」という茶室を建てたのが、武者小路千家の始まりです。
武者小路千家は表千家とよく似たスタイルでありながら、合理的で無駄のない動きが特徴です。
まとめ
表千家や裏千家という名前は、茶室が「武者小路通り」にあることから「武者小路千家」と呼ばれるようになったのと同様、屋敷の表側に茶室があるから「表千家」、屋敷の裏側に茶室があるから「裏千家」と呼ばれるようになったことに由来しています。
「表」「裏」という名前から、対立しているイメージを持たれがちですが、細かな作法や道具に違いはあるものの、茶とたてて客人をもてなすという精神は共通しており、流派が対立しているというわけではありません。
茶道教室を選ぶときはそれぞれの違いを参考に、自分に合った流派を選んでください。