青森を代表する伝統漆器、津軽塗とは?
津軽塗の歴史や特徴をご紹介します。
青森を代表する伝統工芸品
津軽塗は青森県弘前市を中心とした津軽地方で生産されている漆器です。もともと、この地域では漆器が盛んに作られていましたが、さまざまな名称で呼ばれており、統一した名称がありませんでした。しかし、1873年に開催されたウィーン万国博覧会に展示することになった際、産地が明確にわかるようにということから「津軽塗」と呼ばれるようになりました。
その美しさや堅牢さから人気が高く、青森県内の伝統工芸品のなかで唯一、経済産業大臣指定の伝統工芸品となっている津軽塗の歴史と特徴をご紹介します。
津軽塗の歴史
津軽出漆器が盛んに作られるようになったのは、江戸時代中期の弘前藩第四代藩主、津軽信政の時代であったといわれています。津軽の産業を育成するため、全国から多くの職人や技術者を弘前に招き、1676年 (延宝4年)頃には城内の一角に漆器職人である「塗師」の作業場が作られていたようです。
1685年、藩はお抱えの塗師である池田源兵衛を江戸に上らせ、塗師である青海太郎左衛門の門下につかせます。そこで池田源兵衛は青海一門の「青海波塗」を伝授され、津軽塗の原型ともいえる「唐塗り」という独自の漆器を作り出します。
当初は刀の鞘などの武具につける飾りが作られていましたが、やがてさまざまな調度品が作られるようになり、朝廷や公家、幕府への贈答品としても用いられるなど、高い評価を受けて藩の手厚い保護を受けるようになります。
「霜降塗」「利久唐塗」「松葉いろいろ」「唐塗」「色紙塗」「紋虫喰塗」などさまざまな技法が生み出され、1871年の廃藩置県の影響で一時衰退するものの、組合組織結成などにより途絶えることなく息を吹き返し、1873年にはウィーン万国博覧会に出展。このときから「津軽塗」と呼ばれるようになります。
明治期までの津軽塗は贈答品や献上品に使われる高級品でしたが、大正時代にかけて大衆化が推し進められ、椀、盆、箸などが盛んに作られるようになりました。
1929年の世界恐慌や第二次大戦などによって大きな打撃を受けましたが、1975年に経済産業大臣指定伝統工芸品に選定され、2017年には重要無形文化財に指定されるなど、三百年以上の伝統を現在も変わることなく受け継いでいます。
津軽塗の特徴
津軽塗の特徴は、「唐塗」「七々子塗」「紋紗塗」「錦塗」と呼ばれる「研ぎ出し変わり塗り」の技法で作り出される優美で独特な漆模様と、漆を何層にも重ねることで生み出される堅牢さです。青森県の特産であるヒバを使い、約50の工程、2カ月余の日数を費やして作られる丁寧さから「津軽の馬鹿塗り」という異名を持っています。複数の技法をかけ合わせたり、絵付けなど加えることで多種多様な表現が可能であること、その独特な色彩や質感、模様などに着目し、食器だけではなく文具、雑貨、家具などさまざまな製品が作られています。
まとめ
華やかさと堅牢さを兼ね備える津軽塗は、重箱や茶器、仏具といった伝統工芸品だけではなく、モダンインテリアなどにも使われており、日本はもちろん海外でも人気があります。贈答品として利用されることも多いため、知らずに所有していることも少なくありません。お手元に売却を検討している津軽塗をお持ちの方は、弊社に一度ご相談ください。