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竹林月夜、四弁花、羊歯模様で代表される近代陶芸の巨匠、人間国宝 富本憲吉とその作品について。

近代陶芸の巨匠、富本憲吉とその作品についてご紹介します。

色絵磁器の大成者

磁器には様々な装飾方法がありますが、釉薬をかけて焼いた上に色絵の具で上絵を描き、焼き付けた「色絵」は中国の景徳鎮、日本の伊万里、九谷などにも利用されている伝送的な装飾技法です。

赤・青・緑・紫・黄、さらには金といった豊かな色彩で繊細かつ華やかに彩られた色絵磁器は世界的にも人気が高く、日本でも多くの陶芸家が優れた色絵磁器を制作しています。

なかでも、色絵磁器で人間国宝に認定された富本憲吉は「近代陶芸の巨匠」「色絵磁器の大成者」とも呼ばれ、現在も高い評価を得ています。

富本憲吉とはどのような人物で、その作品にはどのような特徴があるのでしょうか。

 

富本憲吉の生涯

富本憲吉は1886年、現在の奈良県生駒郡の大地主の息子として産まれました。幼少のころから絵を学ぶなど芸術への関心は高かったものの、最初から陶芸科を志していたわけではなく、建築と室内装飾を学ぶために東京美術学校に入学、卒業後の1909年にイギリスに留学して装飾家ウィリアム・モリスの研究に没頭しました。

富本憲吉が陶芸に出会ったのは帰国後、楽焼を学ぶために六世乾山に入門したバーナード・リーチに通訳として付き添ったことがきっかけです。1913年には奈良県の自宅の庭に簡単な窯を作って楽焼の制作を始め、1915年には本格的な窯を作ってさらに制作に没頭します。

信楽や瀬戸など国内はもちろん、朝鮮にわたって陶磁器の研究をすすめるかたわら、独学で様々な技術を身に着け、1926年から1946年までは東京で白磁の壷や皿、染付をほどこした作品を中心に制作しています。

終戦後の1946年には京都に移り住み、色絵に加えて金銀を同時に焼き付けるという技法・金銀彩を完成させ、1955年には「色絵磁器」保持者として人間国宝に認定されました。

1961年には文化勲章を受賞した後、1963年に肺がんでこの世を去りました。

 

富本憲吉の作品

富本憲吉の作品は、奈良で窯を開いた初期の「大和時代」、東京に移り住んだ「東京時代」、晩年の「京都時代」に分けることができます。

大和時代は色絵ではなく形にこだわった個性的な白磁を多く残しています。

色絵磁器の制作が始まるのは東京時代からで、山々や草花を描いた「竹林月夜」をはじめとする作品のほか、建築・室内装飾を学んだ富本憲吉ならではの斬新な造形と優れた図案の錦手作品を多数制作しています。独特な「四弁花模様」が生まれたのもこのころで、「従来にない作品を作る」という信念を感じられる強烈な独自性や、複雑で美しい図案といった特徴を垣間見ることができます。

晩年の京都時代になると、色絵磁気に金彩・銀彩を一緒に施す技法を確立し、独自の造形とさらに複雑な模様がより高いレベルで洗練された作品が制作されるようになります。金銀彩で描かれた羊歯模様の作品が作られたのも京都時代のことです。

 

時代ごとに異なる傾向を持つ富本憲吉の作品ですが、従来にない斬新な造形と、高い技術で描かれた独自性の高い模様が全体に共通する特徴です。

 

まとめ

富本憲吉の作品は奈良県立美術館や大原美術館などで鑑賞できるだけではなく、現在も市場に出回っているため、入手できる可能性があります。

また、買取市場では高値がつく可能性が高いので、お手元に富本憲吉の作品をお持ちの方は、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。

 

 

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