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幻のラスター彩の復元で知られる、六代 加藤卓男とその作品について。

六代 加藤卓男とその作品についてご紹介します。

 

ラスター彩に生涯を捧げた陶芸家

ラスター彩とは陶器の表面に銀や銅などの酸化物で文様を描き、低温度で焼成したイスラム陶器の一つで、その起源は古代メソポタミアにあるといわれています。

メソポタミアからエジプトに伝わって発展し、ペルシア陶器で多く用いられたラスター彩は、真珠風の光沢や虹彩、金彩に似た輝き、精緻な文様が美しい陶器でしたが、イスラム文化の衰退と共に失われてしまいました。

加藤卓男はラスター彩の魅力に心を惹かれ、その復元に生涯を捧げた陶芸家です。

 

六代 加藤卓男の生涯

加藤卓夫は岐阜県多治見市で美濃焼の陶芸家、五代目 加藤幸兵衛の長男として1917年に生まれました。早くから父の指導を受け様々な陶芸技法を幅広く習得した加藤卓夫は、写真集で見たラスター彩に興味を抱いていましたが、1938年に陸軍に入隊、1945年に徴兵先である広島市で被爆し、10年間の療養生活を余儀なくされました。

 

体調を回復した療養後、1961年に44歳でフィンランド政府の招きによりフィンランド工芸美術学校に留学。留学中の夏休みにペルシャ陶器の研究のため訪れたイランで、実際のラスター彩を目の当たりにし、その魅力に強く心を惹かれました。

その後、ラスター彩の陶片を求めてイラン各地の窯場を巡ったり、考古学博物館を訪ねたりするなど、幾度も留学を重ねて古代ペルシャ陶器の研究に没頭。その中でラスター彩がイスラム文化の衰退とともに失われてしまったことを知り、復元を決意します。

 

ラスター彩の製法については作り方や釉薬の組成なと基本的な情報が全く残っておらず、博物館の所蔵品を研究してもほとんど何もわからない状態でした。

試行錯誤を繰り返しながらラスター彩の復元を試みていた加藤卓夫がラスター彩の製法にたどり着いたのは1968年、テヘランの大学を訪れた際にペルシャ陶器の第一人者だった故アーサー・アップハム・ポープ教授の研究に出会ったことがきっかけです。ホープ教授が残した資料をもとに独自研究を重ね、数年後にはラスター彩の復元に成功しました。

 

1986年にトルコのイスタンブールで個展を開催し、1988年に紫綬褒章を受章、1995年に重要無形文化財「三彩」保持者に認定された加藤卓男は日本でペルシャ陶器の作品を制作し続けましたが、イランでラスター彩を手掛けるという最大の目標を果たすことなく、2005年に87歳で帰らぬ人となりました。

作品の特徴

加藤卓男の作品は、金彩に似た華やかな輝きとエキゾチックな文様が特徴のラスター彩の作品が有名です。金彩よりも高い技術が必要とされるラスター彩から、その技術の高さと情熱を伺いすることができます。茶碗の内側にペルシャ系民族の踊子の文様を描いているのも特徴の一つです。

また、ラスター彩のほかに、白磁の中に入り混じった緋色が美しい志野茶碗や瀬戸黒茶碗、青釉黒彩鶏冠壺といった日本の陶器も手掛けています。

 

まとめ

存命中にラスター彩の里帰りを果たすことはできなかった加藤卓男ですが、息子である7代目 加藤幸兵衛がイランで個展を開催し、その意志は無事受け継がれました。加藤卓男の作品は岐阜県現代陶芸美術館などで観ることができます。機会があれば鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

 

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