民芸陶器、縄文象嵌の特徴と代表作家の島岡達三について教えて下さい。
島岡達三について説明します。
民芸陶器、縄文象嵌の特徴と島岡達三
陶器を購入するとき、「民芸調」や「民芸陶器」という言葉を聞いたことはありませんか?
民芸というと「素朴」なイメージがありますが、果たして民芸陶器とはどのようなものなのでしょうか。
今回は、民芸陶器や民芸陶器の一つである縄文象嵌、縄文象嵌の代表作家である島岡達三についてご紹介します。
民芸陶器が持つ「用の美」
日本には青森から沖縄までに60を超える民窯が存在しており、各地でそれぞれ異なる特徴を持つ陶器が焼かれてきました。
しかし、「雑器」といわれる日常使いの陶磁器は美術的な価値がない物として扱われており、後継者不足や社会的需要の減少などから各地の風土と歴史のなかで培われた技術が継承されないまま途絶えてしまうことが少なくありませんでした。
このような状況のなか、日本民藝館の創設者である柳宗悦は日用品がもつ素朴な「用の美」に着目し、それを広く紹介する「民芸運動」を行いました。
民芸陶器とは、民芸運動の対象となった多岐にわたる民衆的な工芸品のなかの陶器のことを指します。
縄文象嵌とは
縄文象嵌は陶器の表面に縄目を施し、そこに異なる色の土をはめ込む(象嵌する)技法のことです。
成形後半乾きにした器に縄を転がして模様をつけ、その上に化粧土を塗って乾燥させたあと、表面を薄く削り取って作ります。
民芸陶器の代表的な存在である益子焼が持つ素朴な美しさを、より一層際立たせるこの技法は、益子焼の魅力を世に広めた濱田庄司の弟子、島岡達三によって考案されました。
縄文象嵌作家 島岡達三
島岡達三は1919年、組紐師である島岡米吉の長男として東京に生まれました。
19歳のころ「日本民藝館」で目にした民芸作品に感銘を受けたことから、民芸運動の中核メンバーの1人だった濱田庄司の元をたずね、栃木県益子に移住してからその門下に入ります。
その後、古代土器の標本を作るなど縄文土器の知識を深めながら作陶を重ね、1953年に独立して自分の窯を持ちます。
師である濱田庄司から「自分独自のものを考案して作れ」と諭されていた島岡達三は試行錯誤の末、李朝の三島手や父が作る組紐からアイデアを得て、縄文象嵌を考案しました。
縄文象嵌という独自の技法が生まれたことで益子焼は更なる発展をとげ、その功績をたたえられた島岡達三は、1996年に「民芸陶器(縄文象嵌)」の人間国宝に認定されました。
まとめ
縄文象嵌を施した民芸陶器は、縄文土器を思わせる素朴な美しさと独特な温もりから高い人気があります。
栃木県立美術館や益子陶芸美術館などで観ることができますので、機会があれば鑑賞してみてはいかがでしょうか。