蒟醤(きんま)の代表的な作家には誰がいますか?
蒟醤(きんま)の代表的な作家をご紹介します。
蒟醤の代表的な作家
江戸時代に生まれた「香川漆器」のなかでも、緻密な線と優美な文様、どことなくエキゾチックな雰囲気を持つ「蒟醤」は、香川漆器の代表的な技法です。
その奥深い魅力から数々の作品が作られており、国の伝統工芸品としての指定も受けています。
玉楮象谷(たまかじぞうこく)
讃岐・高松に生まれた玉楮象谷は「香川の漆芸の祖」、「香川の漆聖」と称される漆芸家です。
日本の美術工芸文化が華やかに発展した江戸時代後半、京都で多くの漆芸作品に触れ、なかでも室町時代に日本に伝来した中国の唐物漆器やタイ・ミャンマーなどからの籃胎蒟醤(らんたいきんま)漆器に創作意欲を掻き立てられました。
多くの漆芸技術の知識を高松に持ち帰った後、当時の藩主、松平頼恕よって才能をみいだされ、藩の宝蔵品の管理と修理も任されるお抱え職人として自立した玉楮象谷は、藩が所有する漆芸品、特に唐物漆器や籃胎蒟醤漆器をつぶさに観察することで、日本の伝統的な漆芸技法を基礎に中国・東南アジアの漆芸技術を消化して組み合わせた、日本独特・玉楮象谷独特の漆芸技法を確立しました。
玉楮象谷の蒟醤作品は、当時の代表的な技法であった蒔絵のような流派でもないため、自由な発想に溢れ、東南アジアを思わせるエキゾチックな雰囲気と、巧みで優美な意匠が特徴となっています。
坂本雪斎(さかもとせっさい)
香川漆器の始祖、玉楮象谷の弟で「文綺堂」または「黒斎」とも呼ばれます。
「讃岐彫」「象谷塗」とも呼ばれる玉楮象谷の漆芸技術を継承した名工で、昭和28年に皇后陛下へ蒟醤の衣装箱を謹製、昭和36年に当時の皇太子であった浩宮殿下に蒟醤の文机を調製するなど、華々しい経歴を残しています。
磯井如真(いそいじょしん)
1883年に香川県高松市に生まれた磯井如真は、大阪で中国漆器の修理などに携わって技術を習得し、1909年に高松に戻ってからは製法が途絶えていた香川漆器の研究を独自に重ねて復興し、近代化を確立しました。
母校の工芸学校や工芸研究所で後進の育成にもあたっており、讃岐漆芸の中興の祖と称される磯井如真は、香川漆器の創始者・玉楮象谷の蒟醤(きんま)の線彫りを点で彫った「点彫り蒟醤」を創案し、昭和31年に人間国宝として認定されました。
太田儔(おたひとし)
1931年、岡山市に生まれた太田儔は磯井如真の師事を受けて蒟醤の技法を習得後、竹を編んだ素地に漆を塗り重ね、その漆面に彫刻刀で文様を彫り、色漆を埋めて研ぎだすという伝統技法、「籃胎蒟醤(らんたいきんま)」の研究を独自に行い、蒟醬の技法で装飾した模様の周りに1mmの線の中に3~4本を線彫りしてそれに縦、横、斜めと様々な色漆を繰り返し埋めていく「布目彫蒟醬(ぬのめぼりきんま)」など独自の技法を確立しました。
竹を素材に造形から仕上げまで一貫して制作するスタイルで漆芸の伝統を受け継ぐとともに新たな領域を開拓し、平成6年に人間国宝として認定されました。
磯井正美(いそいまさみ)
1926年、磯井如真の三男として高松に生まれた磯井正美は、木彫り用の丸刀を使って柔らかいイメージを出す「蓮華彫り」、父如真が考案した点彫りを応用した「往復彫り」、金紛や銀粉を用いる「沃懸地(いかけじ)」、ぼかし塗りした面を研いで断面を見せることでグラデーションの効果を出す技法など、さまざまな技法を考案し蒟醤の表現領域を拡大しました。
繊細華麗な父如眞の作風に対し、磯井正美の作品は動植物や陽炎、波などの自然を自在に表現しており、作者自ら「漆の古典的なうつくしさを現代の新しい感覚で生かしたムード派」と称するする作風で、昭和60年に人間国宝として認定されました。
山下義人(やましたよしと)
1951年、香川県高松市に生まれた山下義人は、磯井正美に蒟醤を、田口善国に蒔絵の師事を受けた漆芸家です。
自然界に着想を得た個性的なモチーフを、幅広い彫りと濃色から淡色までの数十色の色漆を丁寧にくり返し塗り重ねる手法や蒔絵の併用で豊かに表現し、優れた芸術性から平成25年に人間国宝として認定されています。
まとめ
蒟醤の作品は伝統的な技法を用いた古典的な作品から新しい技法で表現された現代的な作品まであり、伝統工芸でありながら新しさを感じる奥深い魅力を持っています。
伝統と革新が混ざり合った香川漆器、蒟醤の技術は、これからもさらに発展していくことが期待されています。