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俳句と絵画を融合させた「俳画」の創始者である与謝蕪村のその生い立ちと作品の世界について

与謝蕪村(よさぶそん)は、松尾芭蕉・小林一茶と並び、江戸時代の俳諧の三大巨匠として有名です。

与謝蕪村の生い立ちとその背景

与謝蕪村(よさぶそん)は、1716年に現在の大阪市都島区毛馬町に生まれました。彼は俳諧の三大巨匠の一人であり、松尾芭蕉や小林一茶と並び称されています。蕪村の俳句は、情景が目の前に浮かび上がるような写実的な表現と豊かな色彩感覚が特徴です。また、彼は画家としても優れた才能を発揮し、俳句と絵画を融合させた「俳画」という新しいジャンルを確立しました。

蕪村は幼少期に両親を亡くし、20歳で江戸を目指しました。江戸では松尾芭蕉の孫弟子である早野巴人に師事し、俳諧を学びました。しかし、27歳の時に師である巴人が亡くなり、蕪村は江戸を去ることになります。

 

放浪の旅と成長の時代

江戸を離れた蕪村は、僧の姿で東北地方を巡り歩きました。この旅は彼にとって修行の旅であり、芭蕉の『奥の細道』の軌跡をたどるものでした。蕪村は旅の途中で絵を描き、宿代を支払うことで生計を立てました。1744年頃、28歳の時に俳号として「蕪村」を名乗り始めます。

放浪生活は約10年に及び、42歳で京都に定住します。この時期から「与謝」と名乗るようになり、亡き母の出身地である丹後与謝に因んでいると言われています。京都では多くの俳人と交流し、古典絵画を学びながら絵画の制作にも励みました。

 

京都での活動と家族

京都に移り住んだ後、蕪村は絵画制作に力を入れ、45歳で結婚し、一人娘を授かります。彼の作品は、丹後の施薬寺に残されている「方士球不死薬図屏風」を始め、多くが重要文化財に指定されています。また、この時期に俳句に絵を入れる独自のジャンル「俳画」を確立し、俳画の代表的な作品として「奥の細道図巻」が知られています。

 

晩年の活動と「俳画」の確立

1770年、55歳の蕪村は早野巴人の俳諧一派「夜半亭」を引き継ぎます。この時期、蕪村の俳人としての名声は高まり、俳画の制作も精力的に行いました。1777年に出版された句集「夜半楽」には、彼の代表作「春風馬堤曲」が収録されています。

画家としても多くの作品を残し、1771年に池大雅と合作した文人画「十便十宜帖」は重要文化財に指定されています。他にも、「雪中鴉・風雨鳶図」や「夜色楼台図」など、多様な画風で制作された作品があります。

 

与謝蕪村の作品の特長

蕪村の作品は、写実的でありながら親しみやすさと温かさを感じさせるものが多いです。代表的な作品である「十便十宜図」は、中国の山水画を日本風にアレンジした文人画です。また、「鳶鴉図」や「夜色楼台図」など、様々なスタイルの作品があります。

彼の俳句は、情景が目の前に浮かび上がるような表現が特徴であり、代表的な俳句「春の海ひねもすのたりのたりかな」はその良い例です。蕪村は多様な画風を使い分けながらも、全ての作品において親しみやすい温かさを感じさせます。

 

与謝蕪村の評価と影響

蕪村は、今では松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸期の俳諧の三大巨匠として広く知られています。しかし、俳人として広く認知されるようになったのは、彼の死後100年が経ってからです。明治の俳人・正岡子規が著書『俳人蕪村』で紹介し、世間にその名を広めました。また、昭和に入ってから詩人の萩原朔太郎も『郷愁の詩人・与謝蕪村』として彼を取り上げました。

蕪村の絵画は、日本画の最高峰として評価され、多くの作品が重要文化財に指定されています。掛軸などの作品は非常に高価買取され、今なお各地で多くの企画展が開催されています。2021年には府中市美術館で「春の江戸絵画まつり 与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家」展が開催されました。

 

与謝蕪村の代表作品紹介

 

「奥の細道図巻」

「奥の細道図巻」は1778年に制作された俳画の代表作で、全2巻から成ります。蕪村が敬愛する松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』の全文を書き写し、13点の挿絵を加えています。書は場面によって軽妙なもの、重厚なものと書き分けられ、絵は簡潔な筆致で描かれています。現在、この作品は重要文化財に指定され、広島の王舎城美術寶物館に所蔵されています。

 

「夜色楼台図」

「夜色楼台図」は1778年から1783年頃の作品で、雪が降る夜の山村の光景を描いた絵巻物です。夜空は黒から灰色の濃淡で描かれ、雲を部分的に滲ませることで表現されています。家の灯りがあたたかくともる様子は、日本人の原風景を思わせる懐かしさとぬくもりを感じさせます。この作品は国宝に指定されています。

 

「十便十宜図」

「十便十宜図」は1771年に池大雅と合作した文人画で、中国・清の劇作家李漁の詩「十便十二宜詩」をテーマに描かれました。蕪村は自然の「十の良いこと」を美しく描き分け、重要文化財に指定されています。

 

まとめ

与謝蕪村は、俳句、絵画、俳画という多様な芸術分野で卓越した才能を発揮しました。彼の作品は、写実的でありながらも親しみやすさと温かさを感じさせるもので、多くの人々に愛されています。蕪村の評価は国内外で高く、多くの作品が重要文化財に指定されており、彼の影響力は今なお強く感じられます。蕪村の作品を手に入れることを考えている方は、その価値を理解し、大切に扱うことが重要です。彼の作品は、時を超えて多くの人々の心を癒し続けることでしょう。

 

 

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