ガラス彫刻家で知られるデイル・チフーリとその作品について教えてください。
デイル・チフーリとその作品についてご紹介します。
現代グラスアートの巨匠デイル・チフーリ
デイル・チフーリは豊かな色彩とダイナミックな形が特徴のガラス作品を数多く手がけているアメリカのガラス作家です。ガラスが持つ「硬くて繊細」というイメージを打ち破る作品の数々は世界中から高く評価され、現代グラスアートの巨匠とも呼ばれています。
その独特な作風からデザインを手掛けた空間は「チフーリワールド」と呼ばれることもあるデイル・チフーリとはどのような人物なのでしょうか。
デイル・チフーリの来歴
デイル・チフーリは1941年、アメリカのワシントン州タコマで生まれました。
タコマにあるウッドロー・ウィルソン高校在学中の1956年に兄のジョージが海軍航空訓練事故で死亡し、その2年後の1958年に父親が心臓発作で亡くなってしまいます。
1959年にウッドロー・ウィルソン高校を卒業したデイル・チフーリは、母の強い勧めによりピュージェット・サウンド大学に入学し、1年後にシアトルのワシントン大学に編入してインテリアデザインを学びます。
1961年にガラスの溶け方と融合方法に関する研究を始めますが、1962年にフィレンツェで芸術を学ぶために大学を休学。その後、中東を旅しているときに出会った建築家ロバート・ランズマンにガラスの研究に戻るように促されます。
アメリカに戻ったデイル・チフーリは1963年、ガラスの破片を使ったタペストリーを発表、1964年にシアトル・ウィーバーズ・ギルドから賞を受賞し、1965年にワシントン大学のインテリアデザインの学士号を取得しました。
吹きガラスの研究を始めたデイル・チフーリはウィスコンシン大学で彫刻家のハーヴェイ・リトルトンに師事し、1967年に彫刻の理学修士号を取得。1968年に「フルブライト・プログラム」という奨学金制度を使ってヴェネチアでガラスの勉強をし、美術学修士号も取得。1971年に他のガラス彫刻家達と共同でピルチェック・ガラス・スクールを設立。制作したガラス作品も高い評価を受けるなど順風満帆の人生を歩んでいました。
しかし、1976年に滞在していたイングランドで正面衝突の自動車事故に巻き込まれ顔を損傷。左目が盲目になってしまいます。また、1979年にボディサーフィンの事故で肩を脱臼した影響からガラス吹きパイプを持つことができなくなったデイル・チフーリは細工を他の人に依頼し、自らはディレクターとして活躍する道を選びます。
アーティストチームとともに活動するようになったデイル・チフーリは以前にもまして高い評価を得るようになり、カラフルな色と躍動感のある形、斑点が特徴的な「マキア」、洗練された静謐な印象が特徴的な「ヴェネチアン」、古代の貝や海洋生物を思わせる「シーフォーム」、日本の生け花に栄養を受けた「イケバナ」シリーズなどを発表。世界各国で展示会を開催し、アメリカ・デザイナー研究所賞、視覚芸術家賞などを受賞しています。
デイル・チフーリの作品
デイル・チフーリの作品は、豊かな色彩と有機的で躍動感のある独特な形が特徴です。植物や海藻、貝などをモチーフとした作品の数々は、ガラスで作った彫刻作品というより、自然の草花がガラスになったという印象を受けるほど生命力にあふれています。
まとめ
独特な世界観を持つデイル・チフーリの作品は、富山市ガラス美術館、箱根ガラスの森美術館、大一美術館などで観ることができます。機会があれば、ぜひ鑑賞してみてはいかがでしょうか。