没後50年を迎え、今話題の藤田嗣治とその作品の特徴について。
藤田嗣治とその作品の特徴をご紹介します。
「20世紀初頭で最も重要な日本人前衛画家」
藤田嗣治(ふじたつぐはる)は1988年に生まれた日系フランス人画家です。
子どものころから画家を志し、1913年に渡仏。アメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティン、後のエコール・ド・パリのジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、モイズ・キスリングなどと交友を深めました。
1920年代にはエコール・ド・パリのメンバーとして活躍し、日本画の技術と西洋絵画を融合させた技法から「20世紀初頭の西洋において最も重要な日本人芸術家」「エコール・ド・パリの寵児」として高い評価を得ていました。
一方、日本では「西洋画といえば印象派」という考えが強く、藤田嗣治が描く前衛的な作品が受け入れられなかったこと、藤田嗣治の髪型やファッションが奇抜だったことから「日本の恥」と酷評されることすらありました。
第二次世界大戦開戦後日本に帰国した藤田嗣治は陸軍美術協会理事長に就任し、陸軍報道部から依頼された「戦争記録画」を制作しました。
しかし、戦後は「戦争協力者」として戦争責任追及を受けて嫌気がさした藤田嗣治は、1949年に渡仏の許可が得られるとすぐにフランスに戻り、1955年にフランス国籍を取得。生涯日本に戻ることはありませんでした。
日本の画壇から半ば追い出されるような形となった藤田嗣治の作品は、日本では生前評価されることがありませんでしたが、2018年に没後50年を迎えるのを機に大規模な回顧展が、東京都美術館と京都国立近代美術館で開催されることとなりました。
作品の特徴
藤田嗣治の作品は、女性や動物を主なモチーフとして描いた作品と、第二次世界大戦中に描いた戦争記録画の2通りがありますが、なかでも、藤田嗣治自身が自ら好んで描いた女性や猫を題材とした作品は非常に高い評価を得ています。
その特徴は「人肌をそのままカンバスにしたような」と評される乳白色の下地と、平面的で浮世絵を連想させる人物表現です。
日本美術の伝統とパリのモダニズムを融合させた独自のスタイルで描かれた美しい女性や猫は、今もなお世界中の人々に愛されています。
まとめ
時代に翻弄され波乱の生涯を送った画家、藤田嗣治の作品は現在、東京のブリヂストン美術館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、箱根のポーラ美術館、秋田市の平野政吉美術館などで観ることができますが、意外なところでは「G.H.マム」社のシャンパン「G.H.マム ブリュット・ロゼ」のコルクを抑えている「ミュズレ」で、キリスト教に改宗して「レオナール・フジタ」となった藤田嗣治が描いた薔薇を観ることができます。
戦後もフランスで創作を続けた藤田嗣治は、1968年にこの世を去るまで芸術活動に打ち込んだといわれています。