クロード・モネとその作品について教えてください。
クロード・モネとその作品についてご紹介します。
印象派の先駆けにして代表の画家
クロード・モネは「印象 日の出」や「睡蓮」、「散歩、日傘をさす女」などで有名なフランス印象派の画家です。その作品は切手や絵葉書などになっているだけではなく、描かれた風景を再現した「モネの庭」が高知県で作られるなど、現在でも高い人気があります。
今回は、クロード・モネの生涯とその作品についてご紹介します。
クロード・モネの生涯
クロード・モネは1840年、パリのラフィット街に生まれ、5歳の頃からノルマンディ地方のル・アーヴルで過ごしました。小さなころから絵がうまく、10代後半からカリカチュアと呼ばれる戯画を売ったり依頼されて描いたりするなど、早くから一定の評価を得ていました。
1858年ごろ、モネの描いた作品が風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目に留まり、戸外での油絵制作を教わるなど画家への一歩を踏み出します。
1859年、絵を学ぶためにパリに移住したモネですが、従来の伝統的・格式的な美術教育に反発を覚え1860年に自由に学べるアカデミー・シュイスに入学。翌年1861年に徴兵を受けアフリカ方面の連隊に入隊し、翌1862年フランスに帰国したモネは、親戚の画家オーギュスト・トゥールムーシュの勧めでシャルル・グレールのアトリエに入りアルフレッド・シスレー、フレデリック・バジール、ピエール=オーギュスト・ルノワールに出会います。
1863年にシスレー、バジール、ルノワールと共にシャルル・グレールアトリエを離れ、彼らに戸外制作を教えたり、キャンバスに絵具をリズミカルに置いていく独特の技法を確立したりなど、後の印象派の礎を築きます。
1865年にはフランスの王立絵画彫刻アカデミーが開催する公式美術展覧会「サロン・ド・パリ」に出品したのを皮切りに、サロンへの挑戦を繰り返しますが評価は芳しくなく、経済的・精神的な苦境に立たされます。
1870年からはサロンへの挑戦をやめ、1874年に仲間と共にグループ展を開催。しかし、従来の絵画とはまったく異なる色合いや作風が受け入れられませんでした。
1880年、印象派の仲間から離れたモネは「ラ・ヴィ・モデルヌ」誌の画廊で初めての個展を開催。作品数点が売れ、新聞で好意的な評価を受けたことをきっかけに経済的な安定を得ます。
1883年にパリの西にあるジヴェルニーへ引っ越したモネは、ひとつのテーマを異なる天候や、季節のもとで描く連作を中心に、自然をモチーフとした作品を多数制作。
1926年に86歳でこの世を去るまで油彩だけでも2000点以上を残しました。
作品の特徴
モネの作品の最大の特徴は、時間や季節、天候などによって変化する「光」の表現です。絵具を混ぜずにキャンバスの上に並べるように置いていく「筆触分割」という技法が使われており、太陽の光を受けた自然の色彩がそのまま表現されています。
また、モネの作品は風景画が多く、特に好んでいた「睡蓮」をテーマにした作品は300点以上残されているほか、水辺の風景を描いた作品や駅、聖堂といった人工的な建物のある風景もあります。
同じ場所と構図で時間帯などが違う「連作」方式、日本の浮世絵に影響を受けたといわれる構図などもモネの特徴といえるでしょう。
まとめ
クロード・モネの作品は国立西洋美術館、ポーラ美術館などで見ることができます。また、印象派展、西洋絵画展などの特別展などに出展されることも多いため、機会があれば鑑賞してみてはいかがでしょうか。