放浪画家で知られる山下清とその作品の価値について。
放浪画家で知られる山下清とその作品の価値についてご説明します。
ドラマや舞台にもなった山下清
日本の有名な画家には様々な人がいますが、「放浪画家」として知られる山下清ほど風貌や人柄、生涯が広く知られている画家はいないのではないでしょうか。
山下清は1922年、東京の浅草に生まれました。3歳の頃病気で高熱を出し、一命を取りとめたものの軽度の言語障害と知的障害という後遺症が残ってしまいます。
1934年に千葉県にある知的障害児施設(当時は救護施設と呼ばれた)「八幡学園」に入学し、そこで「ちぎり紙細工」に出会い、制作に没頭しはじめます。
山下清は小学生のころからその才能を発揮し、1938年に東京で初個展を開催、1939年には大阪で個展を開き、高い評価を得ました。
1940年、18歳になった山下清は突然放浪の旅に出かけます。1954年までという長い期間、日本中を放浪しては実家や学園に戻って絵を制作するという生活を続け、1956年に「放浪日記」として記録に残されました。
「放浪日記」はドラマや映画、舞台などの題材としてたびたび取り上げられ、1980年から放送が始まったテレビドラマ「裸の大将放浪記」は爆発的にヒットしました。
「日本のゴッホ」「裸の大将」と呼ばれ、全国巡回展を約130回も開いた山下清ですが、49歳のときに脳出血で亡くなります。その短くも鮮烈な生涯は、山下清が愛した「花火」のようであったといわれています。
素朴な魅力あふれる作品
山下清の作品といえば得意の「ちぎり細工」で作った貼り絵作品が有名です。貼り絵とは思えないほど精巧で緻密でありながら、どこか素朴で優しく、人情味があふれる味わいがあります。また、貼り絵だけではなくペン画も多く残されています。
山下清は大の花火好きで知られており、「長岡の花火」「富田林の花火」など花火に関する作品を多く残しています。
このほか、放浪先で見た「桜島」「富士山」といった風景や、「かたつむり」「きんせんか」「蜂」といった身近な自然を描いた作品も手がけています。
ドラマなどでは旅先でスケッチ、絵を仕上げる描写がありますが、実際は実家や学園に帰ってから記憶を頼りに描いていました。
山下清の作品の価値
山下清の作品の多くは遺族が保管しており、本物の作品はほとんど市場に出回っていないようです。
しかし、ドラマなどで「旅先で描いた絵を、世話になった人に贈る」という描写が多い影響からか、「山下清の作品である」といわれるものが出回ることがあります。真贋鑑定をできる人が少ないため、贋作も多く出回っています。
本物の山下清作品は非常に価値が高く、オークションなどに出せばかなりの高額になるといわれています。
肉筆を元に制作した「リトグラフ」作品は発行枚数などによって価値は変わりますが、数万円程度で取引されています。
まとめ
山下清の作品は非常に価値が高く、本物・肉筆であれば高い値段がつくでしょう。しかし、贋作が多く鑑定も難しいため、購入するときは注意が必要です。
山下清の作品は「山下清鑑定委員会」で鑑定することができます。本物かどうかわからない場合は鑑定書の有無を確認するとよいでしょう。